銀座より道、まわり道
文・山口正介 イラスト・駿高泰子
Text by Shosuke YAMAGUCHI
Illustration by Yasuco SUDAKA
文房具が好きな方は多いと思う。僕にとっては、工夫を凝らした最新の文房具も、子どものころ欲しかった手動の鉛筆削りも垂涎のアイテムなのだった。
銀座に出ると、必ず覗いてしまうお店の筆頭は、なんといっても文房具店だった。残念ながらいくつかは撤退してしまったが、専門家を相手にする本格的な文房具店や画材店が何軒もある。その中でも『銀座 伊東屋』は別格といってもよかった。銀座通りに面した店舗には何フロアにもわたって各種の文房具が陳列されているのだから、たまらない。
結局、購入にはいたらなかったが、ショーケースの中にある、洒落た木箱でビロードの内張りがあり、そこに烏口やコンパスがきちんと並べられた製図用具の高価なセットや、精巧な造りと象牙(たぶん)の持ち手など、飽きずに眺めているのは、なんともいえない楽しみだった。
上の階に喫茶店があり、ある種の文化人のサロンとなっていた。画家やデザイナーだけではなく、出版関係者の姿も、しょっちゅう見かけたものだ。どんな編集者と待ち合わせるときでも、「銀座の伊東屋の喫茶店」といえば誰でも知っているので便利だった。いうまでもなく、原稿用紙や筆記用具の購入も、こちらで済ませることが多かったから、知らない人はいなかったのだ。
かなり高名な作家の方々を、この喫茶店でお見かけした経験も枚挙に暇がない。
もちろん、最初に伊東屋を教えてくれたのは、父親だった。
五十余年前、いつものように伊東屋の各フロアを歩きまわっていた時、買い物に来ていた両親と偶然、出くわしたこともあった。そのころ、僕は都内の下宿にいて、年に数回しか両親のもとに帰らなかった。だから、奇跡的な邂逅だった。
父は特注の原稿用紙をまとめて発注しにきたのであり、そのついでにスケッチブックや水彩絵の具を購入していた。母は気の利いた、ちょっとした小物を購入したようだ。「あれ、正介さん、今日はどんな用事ですか」と父に聞かれ、ウィンドウショッピングと答えて、そのまま別れた。
数年前に本館は建て替えられて、上の階にあった喫茶店はモダンなレストランになった。
万年筆をはじめとする筆記用具の品揃えが充実していて、僕は最近、オリジナルブランドというロメオのボールペンを購入した。末永く愛用することになるだろう。
何もかもデジタル化されてしまった今日この頃だが、やはり手に馴染むアナログの文房具には得難いものがある。
単に僕が時代後れの年寄りだということではなく、手仕事は脳を育てると確信しているからなのだ。
やまぐち しょうすけ
作家、映画評論家。桐朋学園演劇コース卒業。劇団の舞台演出を経て小説、エッセイの分野へ。近著に『父・山口瞳自身/息子が語る家族ヒストリー』(P+D BOOKS 小学館)。
*掲載情報は2022年5月号掲載時点のものです。
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