銀座より道、まわり道
文・山口正介 イラスト・駿高泰子
Text by Shosuke YAMAGUCHI
Illustration by Yasuco SUDAKA
人後に落ちない文房具好きだ。描きもしないのに、日曜画家に憧れて水彩絵の具やスケッチブックを買い求める。
絵筆をとるときはかまわないのだが、生来の悪筆。自分では左利きのためと思っている。小学校低学年の頃、習字の授業があり、担任の教師に教室の前に呼び出され、ふざけて書くんじゃないと叱責された。僕は涙ながらに、思い切って右手で書いてみたんです、と言ったのだが、聞き入れてもらえなかった。重篤な識字障害もあり、字を書くことは苦手だ。
爾来、文字を書くことは、僕にとってアマチュア登山家がアイガー北壁に挑戦するほど過酷なこととなる。
しかし、達筆で流麗華麗に文章を綴ることができたら、僕は文章を書くようにならなかったかもしれない。
そんな僕なのだが、年に一度、万年筆を手にする。毎回、120枚ほど書く年賀状の本文はパソコンでプリントアウトするが、宛て名は万年筆で書くと決めているのだ。
父が遺した万年筆のうち、手頃なものを2本選び、数年続けることによって、自分の手癖に馴染ませることができた。また、楽譜を書くためのペン先を選んで書くことも覚えた。悪筆ではあるものの、このペン先だと、多少はごまかせるのだ。
そんな僕にとって、銀座6丁目、外堀通りで見付けた『アンコーラ銀座本店』は眩しく光り輝く美の殿堂に見えた。文房具、とりわけ筆記用具は、僕には手をのばしても届かない憧れの存在であり、それゆえに目標としているものにもなっているのだった。
『アンコーラ』が、きらびやかなのには理由があった。それを感じるのは、何も僕だけではないだろう。
「アンコーラMy 万年筆」コーナーでは、ペン先からキャップ、胴などパーツごとに様々な色が用意されていて、それを各自の好みで組み合わせることにより、無限ともいえるバリエーションを楽しめる。また、インクも数十色、いや百色以上の品揃えがあり、これも人それぞれの嗜好で選ぶことができるのだった。
だから、店内ではまるでお花畑に紛れ込んだようになる。
購入したインクはウィスキーのようにブレンドすることにより、自分なりのオリジナル作品を造りだすことができる。
僕の父親は万年筆のインクといえばブルーブラックしか使わなかったが、丸谷才一さんは下書き、校正、清書とインクの色を替えていた。またハガキは季節や相手や内容によってインクの色を替えていたようだ。
こんな僕だが、頭の中には文章が充満している。カラフルな万年筆とインクを使えば万華鏡のような文章を醸すことができるだろうか。
やまぐち しょうすけ
作家、映画評論家。桐朋学園演劇コース卒業。劇団の舞台演出を経て小説、エッセイの分野へ。近著に『父・山口瞳自身/息子が語る家族ヒストリー』(P+D BOOKS 小学館)。
*掲載情報は2023年5月号掲載時点のものです。
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