京のグルマンが愛する店

阿じろ本店(あじろ ほんてん)

妙心寺御用達として半世紀、心身を養う滋味の朱膳

文・白木麻紀子(アリカ) 写真・橋本正樹

Text by Makiko Shiraki(Arika Inc.)
Photographs by Masaki Hashimoto

千年以上をかけて
進化をとげた精進料理

 鎌倉時代、宋から日本へもたらされた禅宗。その禅宗に大きな影響を受け、千年以上をかけて発達してきた独自の料理が「精進料理」だ。各宗派の本山が集まる京都では、精進料理を供する専門店や一般の参拝客に門戸を開く寺も多く、市民の暮らしに溶け込んでいる。

 精進料理といえば「簡素」といった印象を抱く人も少なくないだろうが、その大本は、修行を支えるために必要な心身を育む食事として受け継がれてきたもの。なかでも在家の賓客をもてなす料理として供されてきたそれは、禅宗と同時期に日本へ伝来した豆腐やゆばといった食材に、旬の恵みを彩り豊かに取り合わせた一流の美味であり、滋味と心遣いにあふれる癒やしの料理でもある。暑さ厳しい季節にこそ、目と舌に美しく心と身体を養う逸品の数々を愉しんでみたい。

妙心寺の南総門

阿じろ 2F座敷席

門前に立つ
妙心寺御用達の料理店

 繁華街から少し離れ、どことなくゆったりとした空気が流れる右京区・花園。花園法皇の離宮があったこの地に、法皇たっての願いにより1337年(建武4年・延元2年)に開創された寺院が、臨済宗妙心寺派の大本山・妙心寺だ。全国約3400の妙心寺派寺院の本山であり、10万坪の境内に仏殿・法堂・経蔵といった七堂伽藍、および塔頭が並ぶ威容は禅寺として日本最大の規模を誇る。

 この大寺院の料理方を長年務めた妹尾(せのお)吉隆氏が、寺の行事や法事などの出前・出張料理を手がける『阿じろ』を1962年(昭和37年)に創業。その後、妹尾氏の「限られた場で出される料理を、いろんな人に気軽に食べてもらいたい」との思いから店を構えたのがこの本店である。山内に脈々と伝えられてきた伝統の味を基本に、上品な会席風の料理を一般客に供する一方、現在も妙心寺の御用達を務め続け、様ざまな年中行事や儀式、法要で出される料理は同店がすべて取り仕切るという。

 妙心寺・南総門の向かい側、禅宗の僧侶がかぶる「網代笠(あじろがさ)」にちなむ店名が刻まれた看板のかかる門をくぐり、つくばいのある庭を見ながら、こぢんまりとした趣の日本家屋へ足を踏み入れる。2階は、窓から妙心寺の境内を望む座敷席。広間を仕切る襖には《十牛図(じゅうぎゅうず)》が描かれている。悟りを開くまでの道のりを牛探しになぞらえ、その行程を十に分けて絵で説いたもので、童や牛のユーモラスな表情に思わず心が和む。1階には、個室のテーブル席も用意される。

「五味・五法・五色」に則る華やかな料理の数々

 『阿じろ』では、読経のときに使われる経机を御膳に見立て、料理が供される。器は正式なもてなしの場で使われる朱塗りのもの。食前酒ののち、まず「和え物」から料理は始まる。

 この日はアボカドを器代わりに、焼きシイタケ、キュウリ、ゆば、白ずいきを辛子酢味噌で和えた一品が登場した。続いて2品目は、底が平らな伝統的な器で供される「平椀(ひらわん)」。嵯峨の豆腐専門店・森嘉のからし豆腐を盛り、出汁をはったシンプルなもの。驚くべきはその出汁のこくと深み、清々しい味わいだ。昆布、どんこ椎茸などを一晩じっくり浸して取るもので、材料も配合も調理法も、すべて創業以来変わらず受け継がれてきたものである。

 和え物と平椀の後には、精進料理の基本である「五味・五法・五色(5つの味・5つの調理法・5つの色)」に則り、季節の恵みを生かし切る精神で調えられた料理が続く。胡麻豆腐、八寸。小吸い物。きなこを生地に練り込んだ黄鐘(こがね)うどん。自身の手で鍋から引き上げる、できたての引き上げゆば……。彩りも風味も食感も豊かな献立が、舌と心を満たしていく。

仏道に通じる“精進の心”を味わう

阿じろ コース・花園

 そして膳の締めくくりには、湯桶が運ばれる。白湯に小さな焼きおにぎりが入っただけの素朴な一品だが、米の香ばしさとわずかな塩味が溶け合うやさしい味わいが体に染みわたる。茶懐石でも供されるこの白湯は、元々お釜に付いたおこげに湯を注いで作るもので、食べ終わった椀を洗うようにしながらいただく。華やかな膳の終盤に登場するこの一杯に、改めて、素材に感謝し生かし切る、仏の教えが思い起こされる。

 「法事などの仏事で毎年同じ時期にお越しのお客様も多くおられます。そんな方も飽きがこないよう、おもしろいと思った食材を使ってみたり、組み合わせを変えてみたりと、日々新しい料理に挑戦しています」と語る主任・久保田寛氏。たとえば精進料理にしばしば登場する胡麻豆腐も、同店ではピーナツ豆腐・ピスタチオ豆腐など様ざまな材料の豆腐に姿を変える。また料理を作る際には、「気を入れること」をとりわけ大切にしているという。「気を入れるとは、親が子を思うように、相手の喜ぶ顔を思い浮かべながらいたわりの心を持つこと」と久保田氏。

 そもそも「精進」とは、雑念を取り去り仏道に専心し努力するという意味の仏教用語である。50年の長きにわたり、素材の持ち味を生かす料理と心を込めたもてなしに専念してきた『阿じろ』の料理。その“精進の心”が、訪れた者の身体と心を豊かに潤す。

阿じろ 煮物

阿じろ ハス御飯

阿じろ 焼きおにぎりを浮かせた温かな湯桶

阿じろ 胡麻豆腐

阿じろ 本店

京都市右京区花園寺ノ前町28-3

営業時間 11:00~19:00(入店)
定休日 水曜(祝日の場合は営業)
お料理 縁高弁当 3,000円(昼のみ、税・サービス料別)
禅味 6,000円(税・サービス料別)
花園 8,000円(引き上げゆばを含む、税・サービス料別)
妙法 10,000円(引き上げゆばを含む、税・サービス料別)
お席 テーブル10席、個室2部屋(20名まで)

075-463-0221

http://www.ajiro-s.co.jp/

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  • 2017年6月6日公開の「京のグルマンが愛する店」の「直心房さいき」もあわせてご覧ください。

2017.08.08

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仏教、ことに禅宗の影響を受け、独自の進化をとげてきた精進料理。大本山妙心寺御用達を半世紀以上担い続け、ミシュラン1つ星に名を連ねる名店の味。