ミロらしくひかえめで、なおかつ情熱にあふれていた。ミロが生まれて初めて描いた幼ない時の絵、『魚の目の治療をする医者』と題された小作を見て思わず微笑んでしまった。――ああ、このタッチ、筆致だ。 あの『農園』からも感じた丁寧で、誠実さがうかがえるものだった。 ミロの通った美術学校、卒業制作の作品、初期の作品に触れながら、或る日、ミロが子供の時に過ごした農園を見学に行くことになった。 バルセロナから車で二時間走った地中海沿いにあるちいさな村である。農道をいくつか抜け、その別荘がわりの農園に到着した。 そこに立った時、私は驚きの余り、しばし立ちつくしていた。 目の前に、あの『農園』で描かれていた豆の木も、畑も、ロバが曳く葡萄絞りの大きな樽も、そのままひっちの姿であったのだ。 『農園』が描かれてすでに八十年近くが過ぎていた。――こんなことがあるんだ……。 私は空を見上げて月を探した。出ているはずのない月の幻影があらわれた。私は首を振り、まばたきをして空を見直した。そこにはカタルーニャの青空があるだけだった。 半日、そこで過ごし、案内して下さった番人の一家の主婦に礼を言うと、 「ミロがこの家を離れてマヨルカ島へ行った時に、そのまま残して行ったアトリエがありますが、ご覧になりますか?」 と微笑んで言われた。 「えっ、ミロのアトリエがそのままにしてあるんですか?」 「ええ何しろ、あの日、ミロはあわただしくマヨルカ島へむかいましたから」 「もし見学できるなら、ぜひ」 大きなカンヌキの錠を開けると、中は真っ暗であったが、海側の窓のブラインドを開くと、そこに大きなテーブルがひとつ、壁際にふたつのイーゼルが置いてあった。テーブルの上には画家が使っていたチョークや絵具の使いさしがあった。 つい昨日まで、いや立ち去る日の午後までミロが何かにむかって懸命に創作していた気配が感じられた。 ミロはその午後、このモンロッチのアトリエを出て、海を渡って母親の出身地であったマヨルカ島に戻り、生涯、ここに帰ることはなかった。 壁に一枚のカレンダーが貼ってあった。鋲を打ちつけたのも画家自身であろう。 一九七六年、九月のカレンダーだった。 記録には、この年の夏、ミロがマヨルカ島へ行ったとある。 さらに驚いたことに、壁のあちこちに画家が描いたさまざまな小作品があった。――こんなに無造作に放っておくんだ。 そのひとつひとつが、子供の描いた落描きにさえ思える。いや、これがミロのかつてのアトリエと知らなかったら、誰の目にも子供の落描きにしか映らない。しかし、このちいさな作品から、ミロは彼でしかなし得なかった宇宙を創造した。壁にむかって一人チョークで線を描く画家の表情が浮かんだ。 モンロッチでの感動がまだ消えない時に、私はマヨルカ島のミロのアトリエとちいさな美術館を訪れた。 元のアトリエは綺麗に整理され、作品の何点かの展示と合わせて、空間自体がひとつの世界をこしらえていた。見ていて楽しいには楽しいが、それはミロモンロッチ、マヨルカMont-roig del Camp 旅先でこころに残った 言葉一一五回6MallorcaMont-roig del Camp & Palma de MallorcaNumber 115
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