SIGNATURE 2018年8&9月号
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かまちひさし 唐津に名旅館あり――。旅を愛する人なら『洋々閣』の名前を耳にしたことがあるだろう。 明治中期の創業。現在も大正元年(1912年)に建てられた19室の日本建築を大切に守り続ける。玄関は、人力車がピタリとつけられるように大きく高く造られている。上がり框の一枚板や、節のない床板など、もはや手に入らない材料ばかり。館内には、世界的な椅子コレクターとして知られる永井敬二さん(四代目の従兄弟とか)の椅子もさりげなく置かれている。五代目主人の大河内正康さんが、この旅館の来歴を教えてくれた。 「明治中期、唐津が石炭産業で隆盛を極める中、創業しました。当初は、政治家の会合などに使われ、著名な政治家の揮毫も多く残されています。戦後は唐津も苦しくなり、父である四代目が博多に営業に行き、アメリカ人将校さんを誘致。そのおかげで、佐世保に赴任したアメリカの方に愛されるようになり、現在もそれが続いています。その後は、池波正太郎先生の〝書生〞で、唐津くんちを愛され、多くの著作がある佐藤隆介さんや、嵐山光三郎さん、山本益博さん、勝谷誠彦さんなど、美食に通じた作家の方々にご贔屓にしていただき、名前が知られるようになりました」 最近では、京都にまつわる辛口エッセイで知られる柏井壽氏が、著書『日本百名宿』で洋々閣を絶賛するなど、この宿の評判は高まるばかりだ。 ダイナースクラブのための「ななつ星」ツアーに組み込まれたこの宿のハイライ36たき左 :『洋々閣』玄関。右 :中里太亀さん作の器。素朴で丸く立ち上がった器(左下)はアラの煮付けを引き立てる。高台のついた絵唐津には薄造りを盛り付ける。中里親子のギャラリーも併設されており、展示販売も行っている。創業明治26年(1893年)。125年の歴史をもつ老舗日本旅館『洋々閣』を守る、 五代目当主と若女将。 玄界灘の旬の魚介の中でも秋から冬にかけての名物は、 アラ料理。 11月初めの「唐津・おくんち祭り」の時には、 30~40キロの大物が供されるという。 宿には当主が惚れ込んだ唐津焼を代表する窯元『隆太窯』のギャラリーがあり「用の美」が味わえる。文・髙杉公秀写真・永田忠彦CRUISE TRAIN “SEVEN STARS IN KYUSHU”Text by Kimihide TAKASUGI Photographs by Tadahiko NAGATAMasayasu+Naho OKOCHI『洋々閣』五代目主人大河内正康若女将奈穂唐津の食と用の美を、未来に

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