SIGNATURE 2018年8&9月号
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ちいさな線がやがて宇宙にひろがれば……と思っています 旅先で、こころをときめかす出逢いがあったなら、あなたの旅はかなり上質なものだと言えるだろう。 そしてそういった出逢いには少なからず運命のようなものがかかわっているケースが多い。 私の短い半生は大半が旅の日々だった。 その中で、あの時間は誰かの力で、そこに導かれたのかもしれないと思えるものがある。 一九九八年から二○○○年までの三年間、私はスペインの美術館を巡り、絵画鑑賞の旅に出ていた。 マドリードのプラド美術館の訪問にはじまった旅は、ベラスケスから出発し、フランシスコ・ゴヤに至るスペインの絵画史をたどるものだった。 トレドの街を散策し、グレコの作品に触れ、スペインという国が持つ、内へ内へと突き進む或る種の偏向性を持つ創造に、正直、疲れを感じないでもなかった。 そんな時、私は早くミロの作品に接したいと思った。ミロが生涯を通していつくしんだ土地、カタルーニャの街に立ち、目の前にひろがる地中海の風に、光に触れたい衝動にかられた。 ジョアン・ミロが好きだった。 ミロの作品を鑑賞していると、たとえようのない安堵のようなものがひろがった。 彼の初期の作品に『農園』と題された素晴らしい一枚の絵画がある。 私はこの作品を若い時に教科書で見た。まだ美術鑑賞の何たるかが皆目わかっていなかったのだが、スペインの田舎町の農園の風景が描いてあるだけのそこには、ニワトリやロバ、飼われていたのか犬までがいて、その中心に豆の木が一本そびえていた。青く澄んだブルーの空に、月が浮かんでいた。――へぇ〜月が出ているんだ。こんな農園の真昼の風景の中に……。 私がそれまで見て来た絵画と、その作品はすべてが違っていた。 ニワトリもロバも、犬も、でぶっちょの農婦も、まるで子供が描いたようで、どこかぎこちなささえ感じた。 なのにこの『農園』という作品に魅せられた。ミロという画家の名前も頭の隅にずっと残っていた。 スペインの絵画の旅が後半に入り、ようやくカタルーニャの中心都市であるバルセロナの地に立った。サルバドール・ダリの美術館のあるフィゲラスを巡る旅を早々に終え、私はバルセロナのモンジュイックの丘を登り、ミロファンデーション、通称ミロ美術館を訪ねた。 美術館の白い建物と緑のあふれた中庭はいかにも5 文・写真・太田真三伊集院静Text by Shizuka IJUINPhotographs by Shinzo OTA

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