SIGNATURE 2018年8&9月号
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りゅうたつとらふぐしゅんきんていりゅうおうこうだんよみやのあめざくろ歌舞伎名場面文・川添史子 イラスト・大場玲子(兎書屋)1上下 名優・六世尾上菊五郎のために多くの作品を書いた宇野信夫。「昭和の黙阿弥」と呼ばれ江戸市井の描写に長けていたこの作家が「これ程私の好きな道具立の揃った作を書いたことがない」と記した初期作品『巷談宵宮雨』がこの6月、久々に掛かると聞き、喜び勇んで歌舞伎座に観に行った。 物語の舞台は深川八幡の祭礼の前々日から宵宮のあたり。欲深で好色の破戒僧・龍達を軸に、薄幸な娘おとら、博打打ちの悪党・虎鰒の太十、その妻おいちなど、社会の底辺で泥臭く生きる人々が描かれている。油蝉の鳴くジリジリと暑い季節、宵宮の祭り囃子、物憂い雨。じっとりとした物語は後半、金をめぐっての陰惨な毒殺が引き金となり、最後はゾクゾクとするような怪談の様相を帯びていく。 初演の稽古中、龍達の六代目は相手役の大谷友右衛門と台詞をかわしながら、「どうもイヤな爺だ」「下等な奴だね」「こいつァたまらないね」などと言って周囲を笑わせながら、熱心に細かい工夫を凝らしたと伝わっている。 同作は春錦亭柳桜の人情噺『うれしの森』を題材にしたと作者自身が文章に残しているが、内容としては、ほぼ創作。宇野はこの作品を書いた頃の若き日々のことを、六代目を偲んだ「菊まくら」に以下のように書いている。「隅田川をゆくポンポン蒸汽の音のとどく橋場の家――柘榴の花が日射しを受けて咲いている庭、日が昏れると、そこ此処におびただしい蚊柱のたつ庭に向った座敷の、じめじめとした畳に坐って、私は本を読んだり、物を書いたりした」 明治に建てられたという雨漏りのする住居、雨の日にボール紙の表紙の古本をめくりながらこの話が仕上がったというから、芝居全体に漂う湿り気の理由が分かった気がする。この作家の家には、古今亭志ん生をはじめ売れない時代の噺家連中もよく遊びに来ていたという。志ん生といえば「なめくじが這ったあとが銀色に光り輝いていた」という〝なめくじ長屋〞に居住していたことが有名。この芝居の貧しさの描写には、明日への不安と野心を抱えた若き表現者たちの実感が重なっているのかも……などと想像を巡らせた。CSignatureばなしなまぐさ 第24坊回主と遊び人の悪党が絡み合い、滅びの道を歩む、深川八幡の宵宮を背景にした怪談咄こうだんよみやのあめ17龍達=六代目 尾上菊五郎 虎鰒の太十=六代目 大谷友右衛門 太十女房おいち=三代目 尾上多賀之丞昭和10年(1935年)9月 歌舞伎座国立劇場蔵龍達=八代目 中村芝翫 虎鰒の太十=四代目 尾上松緑 おいち=五代目 中村雀右衛門平成30年(2018年)6月 歌舞伎座©松竹株式会社南北の作品に通じる宇野信夫の出世作『巷談宵宮雨』。昭和10年、六代目菊五郎の龍達で初演。六代目の後は昭和30年から十七代目勘三郎の専売特許。深川八幡の祭礼の宵宮にかけて、好色で守銭奴の坊主・龍達を中心に描かれる世話物だが、祭りの浮かれた様子はなく、物憂い市井の情景や太鼓の音によって徐々に怪談咄の様相を呈していく。巷談宵宮雨olumnText by Fumiko KAWAZOEIllustration by Reiko OHBA(TOSHOYA)“Kabuki”a sense of beauty

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