SIGNATURE2017年12月号
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第3章平遥古城に泊まる山西票号の 夢の跡 かつて、中国のウォール街がここにあったとは、俄かに信じられなかった。中国初の商業銀行『日昇昌』がつくられ、ここに金融の一時代が築かれたという歴史を聞くと、現代ののどかな平遥古城とは隔世の感がある。 平遥は、14世紀の明代から19世紀の清代末期まで、晋商と呼ばれる山西商人の拠点として栄えた場所だ。製塩業で財を成した晋商は、綿や絹、漢方薬、毛皮など、あらゆるものの流通・貿易へと進出。清代には、為替手形を扱う票号となり、世界へ金融ネットワークを広げていった。 しかし、清朝崩壊から中華民国設立の動乱によって、数百年の歴史は脆くも崩壊。票号が倒産した平遥は一転、貧困地帯となってしまう。その後、再建の財源がなく、明代の重厚な建物や城郭が形を変えずに残されたのが、1997年に世界文化遺産になった平遥古城である。 『平遥錦宅』は、そんな「つわものどもが夢の跡」に悠然とあるホテルだ。重厚な木のドアを開ければ敷地内は静寂に包まれ、つい先ほどまで歩いていた城郭内の景色を、まるで別世界のように見せてくれる。 マネージャーのイマンさんに話を聞くと、建物は1749年、清代に活躍した絹商人の邸宅として建てられたものだという。オーナーは北京で石炭の貿易を手掛ける中国人女性実業家。その雰囲気が気に入り、プライベートで一部を所有していたが、敷地のすべてを譲り受け、山西省の文化をコンテンポラリーに発信できるホテルにすると決めたそうだ。 建築様式は、中国北方の代表的な家屋建築である四合院。「合」は取り囲むという意味で、中庭を囲むように各面に部屋があり、奥へ進むとさらなる四面が展開する。全14室の客室は、それぞれ異なったデザインが施され、心地よい竹のフロアや手漉きの紙が貼られた壁、さりげなく目に入るモダンアートなど、細部にまで凝らされた意匠に心が緩む。 ホテルの外に目を向ければ、かつての銀行や孔子廟は観光施設となり、石畳に面した建物は、レストランや土産物屋となって新たな活気を呼んでいる。一方、中に入れば、明代の意匠を取り入れた現代的空間という心地よさから離れられない。街歩きも楽しみたいが、ヴァカンスもゆっくり……。欲張りな旅人にとって、理想のホテルがここにある。太原市から新幹線でおよそ35分。明清時代に栄華を極めた平遥は、泊まれる世界遺産に姿を変えた。ロビーから窓に目を向けると、まるで映画を見ているかのように、のどかな古城の街並みがゆっくりと動き出す。1997年にユネスコの世界文化遺産に認定された平遥古城。城郭内は建物の保存の観点から、車は進入禁止となっている。旧市街には五万数千人が暮らし、路地裏には一区画に数世帯が集まって暮らす様子も垣間見える。42

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