__誇り? 何のことだ。 それは第二次大戦の末期、ムッソリーニ率いるファシスト政権に抵抗し、亡くなった人たちであった。 一九四三年七月、連合軍のシチリア上陸作戦の成功で、ムッソリーニ政権は極めて不利になり、ファシスト党はムッソリーニを逮捕監禁し、新政権を成立させたが、ヒトラーは盟友ムッソリーニを救出すべくイタリアに進軍し、アペニン山脈の山塊グラン・サッソに監禁されていたムッソリーニをグライダーで降下、ヘリで救出し、ムッソリーニを首班とする〝イタリア社会共和国〞を樹立した。事実上ナチスの支配下におかれたイタリアは、民衆が武器を持ち、山や街の地下に潜んで激しい抵抗運動をはじめた。有名なイタリアのパルチザン運動である。この抵抗をおさえるためにナチスドイツが行なった行動が、ドイツ兵が一人殺されるたびに、市民の中から無作為に選び出した老若男女の十人を報復として銃殺するという残忍なものだった。 その当時銃殺された二千五十二人の写真が、市庁舎の前に掛けられていたのである。なぜ市庁舎の前かと言うと、ここで銃殺が行なわれたからで、この場所を人々は〝レジスタンスの安らぎの場所〞と名づけていた。 それを知った私は足元の石畳を見つめた。__この石畳に夥しい血が流れていたのか……。 そう思うと、切ないこころもちになった。 モランディの書簡にも、当時のことが書かれている。 〜この哀れなイタリアに少しばかりの平静がいずれ戻って来ることを期待しましょう。それを必要としているのですから……(一九四三年八月) 〜私たちは全員無事でした。恐るべきことでした。爆弾はほとんど私たちの家まで届くほどの勢いでした……(一九四三年十一月) 戦火の下でも、モランディは創作を続けていた。 世の中は平和が続くと、必ずファシズムが台頭して来る。それは世の慣いのごとくである。私が独裁、戦争を嫌うのは、あの市庁舎の前に並ばされた人々と、それを見守る家族の姿を思うからである。 安らぎの場所で、私に写真の説明をしてくれた女性の表情と言葉は、今回の旅で大切にしなくてはならぬことだった。 「この人たちは、私たちの誇りです」なら一○五回9一九五〇年山口県防府市生まれ。八一年、文壇にデビュー。小説に『乳房』『受け月』『機関車先生』『ごろごろ』『羊の目』『少年譜』『星月夜』『お父やんとオジさん』『いねむり先生』『ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石』など。エッセイに美術紀行『美の旅人』シリーズなどがある。新刊に累計一六四万部を突破した大ベストセラー「大人の流儀」シリーズ待望の第七弾『大人の流儀7 さよならの力』。最新刊に『女と男の品格』(文藝春秋)。【読者プレゼントのお知らせ】 本連載をまとめた伊集院静氏の最新刊『悩むなら、旅に出よ。~旅だから出逢えた言葉Ⅱ』(小学館刊)を 抽選でプレゼントします。お申し込み詳細は58ページをご覧ください。Shizuka IjuinBologna
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