SIGNATURE2017年03月号
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廃墟からの復興の果てに初めて降り立った欧州の地がこの南仏の港町であり、帰国に際して最後の別れを告げるのもこの地であった。ナチス・ドイツがフランスに侵攻した1940年には、画家としてパリに暮らしていた岡本太郎や猪熊弦一郎ら、多くの日本人がこの港から白山丸で日本へと引き揚げていったが、この船には商工省からの招聘で、初めて日本へと向かう女性家具デザイナー、シャルロット・ペリアンも同乗していた。 やがてマルセイユはナチス・ドイツの激しい攻撃により陥落。奪われた街を取り戻すための連合国軍による1944年の空襲は、追い討ちのように、さらに市街地を痛めつけた(同じ頃パリ郊外では、ル・コルビュジエの代表的な住宅作品であり、近代建築史上最も有名な建物のひとつでもある『サヴォア邸』が、ドイツ軍の倉庫として使われて廃墟同然となっている。大戦後、この建物が取り壊されようとする際に、当時の文化大臣であった作家、アンドレ・マルローが国民に保存を訴えたことは、今日のル・コルビュジエ評価へとつながった)。 かくして長きにわたった戦争は終わり、住まいを失った多くの国民のための住宅建設を含めた復興政策がはじまる。甚大な代償を伴った戦争という手48ヨーロッパ地中海文明博物館(MuCEM)マルセイユがヨーロッパ文化首都に選ばれた2013年に誕生した新名所。サン・ジャン要塞と空中の橋で結ばれている。マルセイユ育ちの建築家、ルディ・リッチオッティが手がけた美しい建築が見どころ。 www.mucem.orgマルセイユで最も古い街区、パニエ地区の観光スポット、旧・慈善院。1951年、歴史遺産に指定されている。古代ギリシャ人によって紀元前600年頃に築かれた地中海屈指の交易都市は、さまざまな文化が交錯した栄華の記憶を忘れかけていた。しかし現在では、現代建築のメッカとして変貌を遂げ、輝きを放ちはじめている。マルセイユ ――文化都市への変貌Marseille

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