SIGNATURE2016年12月号
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しゃかどうがわ羽山脈の分水嶺のひとつとして知られる福島県の鳳坂峠。この峠を境に、流域は東の阿武隈川水系と西の阿賀野川水系と大きくふたつに分かれる。天栄村はこの清冽な水の生まれる地に位置している。村の中心を流れる釈迦堂川と竜田川は、この一帯に肥沃な耕地をもたらし、やがて阿武隈川に合流し太平洋へと注ぎ込む。釈迦堂川はかつて廣戸川と呼ばれていた。その名を冠した日本酒「廣戸川」を醸しているのが、1984年生まれほうさかとうげの若き蔵元杜氏・松崎祐行さんである。明治25年(1892年)に創業した松崎酒造店の六代目。2011年に26歳で杜氏となり、翌年に自らの手で初めて仕込んだ「廣戸川大吟醸」が全国新酒鑑評会で金賞に輝いた。奥     からやってくる南部杜氏が酒を仕込む姿を見て育った。いずれ蔵元を継ぐことは考えていたものの、杜氏にまでなろうとは思わなかったと語る。彼に杜氏というもうひとつの選択肢を示した蔵元の家に生まれ、冬になれば岩手のは、東日本大震災だった。 「あと一本搾れば今年の仕込みも終わりというところで震災が起き、それからほどなくして蔵の杜氏が倒れてしまいました。頼る人が誰もいないなか、自分ともうひとりの蔵人でなんとかその年の仕事を仕上げました」松崎酒造店では、創業当時から南部杜氏による酒造りが続けられてきた。担い手を突然失った祐行さんは、そのとき自分の力で日本酒を造ってみようと心に決めた。それまで身近で杜氏の仕事を見聞きし手伝ってきたとはいえ、師匠のもとで修業した経験もなく、学校で知識を学んだわけでもない。ゼロからのスタートといってもよかった。福島県清酒アカデミー職業能力開発校に入学して酒造りの基本を学び、各地の蔵元を訪ね、先達から指導を受けながら、酒造りを習得していった。そうしたなかで、造りたいと思う日本酒のイメージが輪郭を結びはじめる。 「ここ天栄村から外に向けて発信できる日本酒を造ろうと思いました。そのために何をすべきか。まず地元を知ること。水を調べ、米や麹を比べ、仕込みの方法も一から検証し直そうと」その試行錯誤の末に彼が選んだのは、地元の水、米、酵母、麹だった。天栄村はもともと良質な天然水に恵まれている地域だが、その多くは軟水である。吟醸仕込みに適していることから、県中通り地域にある約50軒の蔵元もほとんどが軟水を使っている。しかし祐行さんは、蔵の敷地から湧き出る中硬水の井戸水を使うことに決めた。 「ここで湧く水は少し硬いのですが、ミネラルやマグネシウム、カルシウムなど、米をじっくり発酵させるのに適した成分が豊富に含まれています。硬水を使うからといって酒の味も硬くなるわけではない。水と米、麹のバランスと仕込み、管理の手法で日本酒はい天高く栄える山里、滔々と流れる川の名を冠した、誉れの酒73日本の食文化を応援します。かつて「廣戸川」と呼ばれていた釈迦堂川。天栄村の山間を流れる美しく澄んだ水面は、日本の原風景そのものである。

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