SIGNATURE2016年12月号
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1970年代前半。フランスの美食シーンは、大きな転換期を迎えていた。従来のリッチなソースで威風堂々とした重たい料理から、新鮮な食材を意識し、短い調理時間でより軽やかに、そして個性的に仕上げた料理が、パリをはじめフランス各地で誕生し始め、大いに喝采を浴びるように。ヌーヴェル・キュイジーヌ(新しい料理)の台頭だ。リヨン周辺ではポール・ボキューズやアラン・シャペル、トロワグロ兄弟らが注目され、コート・ダジュールにはロジェ・ヴェルジェが強い輝きを放ち、パリではクロード・ペイロやアラン・サンドランスがパリジャンの舌を唸らせた。そしてパリから1時間ほどの郊外・アニエールでは、ミシェル・ゲラールの『ポ・ト・フ』に、夜な夜な食通のパリジャンが押し寄せていた。ミシェル・ゲラール。その名は、ヌーヴェル・キュイジーヌの旗手の一人としてフランス料理史に深く刻まれると同時に、ヘルシーなガストロノミー料理の生みの親としても世界中に知られている。パティシエとしてキャリアをスタートさせ、パリの名門ホテル『オテル・ド・クリヨン』のシェフパティシエや、有名なキャバレー『リド』のシェフを務めるなど、華々しく活躍をしたのち、1965年にパリ郊外に『ポ・ト・フ』をオープン。1971年にはミシュラン2つ星を獲得し、時代の寵児として食業界で注目されていた。しかし、いよいよ3つ星かと注目を集める最中の1974年、ゲラールは突如店を閉め、その姿をパリから遥か離れたフランス南西地方の小さな村、ウジェニー・レ・バンに現したのだ。スペインとの国境まで1時間ほどのウジェニー・レ・バンは、人口400人あまり。古くから良質な温泉水が出ることで有名で、村の名前にも冠されたナポレオン3世皇妃・ウジェニーも、この村を訪れている。村には温泉の効用を利用した医療施設があるが、この施設のオーナーの娘とゲラールは『ポ・ト・フ』で知り合い恋に落ち、活躍の場をパリジャンで賑わう場所から、豊かな自然に抱かれたウジェニー・レ・バンに移したのだ。パリでは、突然姿を消した敏腕シェフの消息を求め、腹を空かせた食通たちが途方にくれた、という話が残っている。フランス北部、ノルマンディー地方出身のゲラールにとって、初めて出合ったフランス南西地方は、太陽が輝き、森、海、川、平野が育む豊かな食材に恵まれた〝旨し大地〟であり、仲間同士の交友や祭り、食べることが大好きな気質に満ちた人々がいる場所だった。ここでゲラールは、多種多様な新鮮な食材や人生を楽しむ才に長けた人々からインスピレーションを受け、自らの料理を一段と発展させ続け、3年後の1977年についにミシュラン最高峰の3つ星を獲得。今ではフランスを代表する名門中の名門レストランとして、〝美食の聖地〟となっている。世界中の美食家を惹きつける3つ星レストラン1933年生まれ。1970年代に誕生したヌーヴェル・キュイジーヌの立役者の一人として脚光を浴び、現在フランス料理界を代表する重鎮シェフ。美食と健康を共存させた『レ・プレ・ドゥジェニー』で日々、世界中からゲストを迎える。左:コロニアル風な装飾が施された、広々としたダイニングサロン。3つのフロアに分かれていて、それぞれテーブルアートが微妙に異なる。右:大きな窓から差し込むやわらかな光が、ナチュラルな装飾を施したテーブルをより引き立てる。 レ・プレ・ドゥジェニーオーナーシェフSpecial FeatureLes Prés d'EugénieMichel GuérardSud Ouest de la FranceUn village aimé par un grand cuisinier32ミシェル・ゲラール
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