SIGNATURE2016年12月号
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先月号は、駅というものへの想いを書いた。駅舎は、それを見ているだけで、私は胸騒ぎがする。たとえ汽車、電車に乗らずとも、駅舎に入り、敷かれた鉄道の線路の、あの鉛色の鈍いかがやきを見ていると、誰かを乗せて、誰かの感情を乗せて、どこからか、どこへかに人間の思いが運ばれることの何とも言い得ぬ抒情を抱く。駅、駅舎、線路がそうであるように、少年時代の私に、その種の、憧れ、夢に似た感情を抱かせたのは、いや今も抱くのは、やはり港の風景である。瀬戸内海沿いのちいさな港町で生まれ育ったせいもあろう。私の生家6   のすぐそばまで湾から寄せる波音がいつも聞こえていた。生家のそばに江戸期、毛利家の水軍の御舟倉跡が今も残っている。そういう環境が、私の、少年の胸に港の存在をことさら大きくさせたのかもしれないが、海外に旅をしても、私が好む街、安堵する場所は決って港町である。スペインならバルセロナ、ポルトガルならリスボン、フランスならマルセイユ、ニース、北でル・アーヴル、ドーヴィル。さらに言わせてもらえば、パリもかつてはフランスで三本の指に入る港町であった。アフリカのケニアに旅した時も、わざわざインド洋に面したモンバサという港町を訪ねた。アメリカ大陸西海岸ならバンクーバー、サンフランシスコ、ロスアンゼルス、ロス・カボス、東海岸ならボストン、ニューヨーク、マイText by Shizuka IjuinIllustrations by Keisuke Nagatomo

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