SIGNATURE2016年08_09月号
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Number 95 ̶̶おう、これが富士山か……。北アルプスの頂きもわずかに見えるが、富士山はまるで違う容相をしていた。同時に富士山を見て、感激している自分を知ったのも意外だった。席に戻ってからもしばらく美しい姿を見ていた。この山をひさしぶりに見て、私と同じような感慨を抱いた人はさぞたくさんいるのだろうと、あらためて富士山の、山というものが持つ力のようなものを再確認した。が初めて富士山を見たのは、故郷の山口から東京へむかう夜行の寝台列車の通路の窓辺からだった。朝の六時頃だったと思うが、乗客もぽつぽつと起き出し、私も通路に出た。するとそこに朝陽に光る富士山が雄大な姿を見せていた。十七歳の夏のことだった。大きな通路の窓に富士山はずっと消えずにあるのを目にして、なんと大きな山裾なのだと思った。私は中国地方の海にそばで生まれたから、雄大な山というものを見ずに育った。高い山と言えば鳥取の大山まで行かねばならなかった。そのせいか、山より海と接することが多く、山登りの経験もほとんどなかった。しかし私が初めて富士山を見た時の感情は日本人の大半が抱く、尊厳にも似たものがあるような気がする。上京して数年、埼玉にある野球部の寮の近くからも、冬の晴れた日、富士山が見えた。しかしその頃は、まだ若く自分のことで精一杯で、そこに富士山がある、というだけだった気がする。社会人になってテレビ局の仕事で静岡を頻繁に訪れる数年間があった。だいせん数日滞在する日々の朝、窓のむこうに富士山が当たり前のようにあった。仕事先のディレクターが言った。「朝夕いつも、そこに富士はあるんです。空気みたいにです。でも他の土地に転勤になった時、何かが足りないような感情がしていたんですが、静岡に戻って来た朝、そうか、富士が暮らしの中になかったんだとわかったんです。不思議な感情ですが、富士がないことが淋しかったんでしょう」そんなふうに思っている人が実は大勢いることにも気付いた。なにしろ富士山は静岡県なら富士市、富士宮市、裾野市、御殿場市、駿東郡小山町。山梨県は富士吉田市、南都留郡鳴沢村にいたる七つの市、町、村にわたってその裾野をひろげているのだ。それだけではない。一度、和歌山県の那智勝浦町を訪れた時、町役場の人から、「ここからも富士山が見えるんですよ」と言われて驚いたことがあった。「それはぜひ見てみたい」と申し出ると、冬の一、二月の日本列島に雲がない空気が澄んだ午前中でないと肉眼ではまず見えないと言われた。勝浦から近い、妙法山と色川小麦峠の二ヶ所から見えるのだという。望遠レンズで撮影した写真を見せて貰った。その富士は空に浮かんでいる感じだった。全国各地にこの山を眺望できる土地が百二十八景、二百三十三地点あるそうだ。まさに日本人の山なのだ。文学者の色川武大さんと二人で名古屋へ〝旅打ち〟(ギャンブルの旅をこう呼ぶ)に行った折、新幹線でくつろいでいた色川さんが、突然、Mount Fuji 私 6
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