SIGNATURE2016年08_09月号
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写真・石塚定人 九世野村万蔵にとって、そもそもが思いがけない襲名だった。家を引き継いでいた兄・万之丞が、家の当主名である万蔵襲名を目前にした2004年に急逝し、その人生が大きく変わった。 「サポートする側の生き方を考えていたのが、いきなり当主になるわけですから……」背中を押されるように、無我夢中で披露公演を乗り切った。だが、晴れがましさは一瞬のことで、その後はズンと責任の重さがのしかかってきた。 「どうやったって、比べられる。先代はよかった、六世(祖父)の芸はこうだった、それに比べて当世は……。必ず言われます。だから本筋らしくあらねばと、ことさらに堅く、立派に、大きく見せようと、無理をしていました」実は、襲名は初めてではない。2000年には途絶えていた分家を150年ぶりに再興し、すでに与十郎を襲名していた。 「長いこと途絶えていた名前と、生き続けている名前では、その重み、怖さ、責任、すべてが別物です」翌05年、万蔵を襲名。見えない力に文・氷川まりこみんなのなかにある「万蔵」のイメージに自分を合わせようと、もがく時期が続いた。そんな万蔵の苦しさを察して、同年代の友人たちは「良ちゃん(本名・良介)は良ちゃんのままでいいんだよ」と声をかけてくれた。 「救われましたね。今までの自分を無理に捨てようとせず、周囲に助けられながら、少しずつですが、未熟な自分と成熟している名前のギャップを埋めていくしかない。そう思えるようになりました」歩みは、早い人もいれば、時間がかかる人もいる。迷わずに、自分自身のペースで、進み続けるしかない。 「名前は自分に近づいてはくれません。狂言師でも努力したらその分、ほんの少し、寄り添ってくれる」襲名から10年が過ぎ、最近になってようやく、自然に「万蔵です」と名乗れるようになってきたという。 「このごろ、自分のプロフィールや肩書から、あえて〝九世〟の文字を、外してしまおうかと考えているんです。九世と名乗ることは、自分は9番目の万蔵だ、という〝個〟のアピールですよね。はたしてそれは必要なんだろうか、と」性格も考え方も、声や体つき、身体能力も違う人間が、代々同じ名を受け継ぎ、名乗り続ける意味に、あらためて思いを馳せる。 「それぞれに違う素晴らしさが、万蔵というひとつの名前の中に積み重なっていく――。襲名とは、ひとりの人間の一生では叶えられないことを可能にする、特別なこと。いつか死ぬ間際に、個人の芸をほめてもらうよりも、『9番目の万蔵は狂言のために頑張った人だったね』と言ってもらえるように。万蔵としての今を生きていきたいと思います」名前に足るだけの名前になる「覚悟」伝統芸能に見る「襲名」のかたち九世野村万蔵40萬狂言特別公演「花子」(2015年10月、国立能楽堂)より 写真・赤坂久美のむら まんぞう|1965年、東京生まれ。父は人間国宝の野村萬。2000年、万蔵家の分家である野村与左衛門家を150年ぶりに再興して二世 与十郎を襲名したが、兄・五世 野村万之丞の死去(八世 万蔵を追贈)にともない2005年、九世 野村万蔵を襲名。九代目当主として「萬狂言」を率いる。http://yorozukyogen.jp/        Special Featute : KABUKI The Succession of Style

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