SIGNATURE2016年08_09月号
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̶̶こんなに眠ったのは初めてだ。よほど疲れていたんだな……。̶̶何だ、今のは?̶̶富士山だ。こんなに美しいのか。̶̶そうか、日本に帰って来たのだ。あれはいつの頃だったろうか。ヨーロッパでの長い取材旅行を終え、飛行機で帰国の途につき、長旅の疲れか、機内での食事も摂らず深い眠りについていた。機内のアナウンスが耳の底に聞こえ、かすかに機体が揺れ、目を覚ました。あと一時間半ほどで成田空港へ着くという。私は驚き、左手の窓を開けた。眼下の雲海が傾きかけた夕陽に染まろうとしていた。二ヶ月余りの旅で七ヶ国を回り、数社の取材をこなした。最後の一週間は、早く日本でゆっくりしたいと思うようになっていた。東欧の旅が続き、言語を聞き取ろうとするのに苦労し、食事も脂の多いものが続き、心身とも辟易していた。トイレに立って顔を洗い、客室乗務員のシートの側の窓から外を見た。一瞬、ダイヤモンドのような光が走った。目を凝らすと、少しずつ朱に染まろうとする雲海の中に、そこだけくっきりと三角形の鉱石のようなものが見えた。私はその美眺に驚き、しばし見惚れた。と嬉しくなった。4         Text by Shizuka IjuinIllustrations by Keisuke Nagatomo

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