SIGNATURE2016年08_09月号
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とダメだよ』と言っていたんです。柿葺落公演から、今年がちょうどその3年目。父がうまいこと布石を打ってくれたんじゃないかと思います。親の偉大さは亡くなってから気づくと言いますが、このごろひしひしと感じますし、襲名に向かえば向かうほど、ありがたさが身に沁みます。父の祥月である10月に襲名興行がスタートできるのは、本当にうれしいことです」今回、話題となっているのが、史上初、父子4人同時襲名。橋之助の長男・国生が父の名前を継ぎ四代目橋之助、次男・宗生が三代目福之助、三男・宜生が四代目歌之助をそれぞれ襲名することが決まっている。 「息子たちのほうが凛としていますよ。鼻の穴が広がって、うれしい気持ちとエネルギーがあふれていて。国生なんてもう橋之助になったみたいな顔をしています」と笑い、喜びに輝く息子たちに期待を寄せる。子》を踊ることが決まった。親獅子が仔獅子を千尋の谷に突き落とし、駆け上がって来た子どもだけを育てるという故事をもとにした演目を、親子ならではの息の合った毛振りで見せる。しかも4人が並ぶという趣向は前代未聞だけに、その迫力に期待が高まる、必見の舞台となるだろう。 「史上初ですよね。勘三郎の兄に『芝翫襲名では、連獅子をやるといいよ。うちは息子が2人だけど、3人連れて親獅子やるなんて、きっと気持ちいいぞ〜』なんて言われたことを思い出します」で、熊谷次郎直実を務める。 「まだ線が細かった20歳そこそこのころ、よしおこけらおとしくにおむねお自分は女方だろうか? れど……と悩んでいた時期があったんです。そんな時に紀尾井町のおじさん(三代目尾上松緑)に《義経千本桜》の新中納言知盛を教えていただき、『立役でいこう』と決意できた。その時おじさんが『お前がいつか《熊谷陣屋》をやるときは(上演の珍しい)芝翫型を教えてやるから、それまで精進するんだよ』なんて言われました。でも当時は若かったので、なかなかやる機会がめぐってこなかった……。これは亡くなった緒形拳さんがおっしゃっていたんですが、『秘境の地に行きたいと思っても、なかなか行けるものではないし、無理矢理行っても場所が心を開いてくれない。でもある日、秘境が心を開いてくれて行ける時がくるんだ。芸もそういうもんだよ』って。まさにそれと同じで、2003年、するすると初めて《熊谷陣屋》をやらせていただけることに決まりました。もう亡くなっていた紀尾井町のおじさんの『書き抜き』(演じる役のセリフを書き抜いた台本)をお借りして、ご指導をお願いしていた中村吉右衛門のお兄さんと一緒にそれをひもときながら、復活させました。やはり思い出深い演目です」取材をしたのは、その日の舞台を終えたあとの楽屋。「今日も舞台の衣裳を脱ぎながら、だんだん橋之助が終わっていく寂しさを感じました」と語り、時に〈橋之助〉との惜別の情も胸中をかすめる。しかし、思いきり足を踏み出すように、心を奮い立たせるように、「歴代の芝翫、〈大芝翫〉と呼ばれた四代目のさらに上、〈大大芝翫〉になりたい」と晴れやかな笑顔を見せた。おおしかん立役をやりたいけ人652016年11月3日(木・祝)夜の部(16:30開演予定)*開演時間は早まるなど変更の場合もありますので、 必ずチケット記載の開始時間をご確認のうえご来場ください。【襲名披露演目】11月の襲名披露演目は《近江源氏先陣館 盛綱陣屋》《連獅子》ですが、貸切公演(夜の部)にどちらの演目が上演されるかは未定です。詳細は38ページをご覧ください。13れんじしもりつなじんや中村橋之助改め 八代目中村芝翫|歌舞伎俳優。屋号は成駒屋。1965年生まれ。七代目中村芝翫の次男。兄は九代目中村福助。70年5月、国立劇場《柳影澤蛍火》吉松君で中村幸二の名で初舞台。80年4月、歌舞伎座《沓手鳥孤城落月》裸武者石川銀八、《女暫》手塚太郎光盛ほかで三代目中村橋之助を襲名。代表作に《一谷嫩軍記・熊谷陣屋》の熊谷直実、《平家女護島・俊寛》の俊寛僧都など。1995年、松尾芸能賞新人賞、2011年日本藝術院賞ほか受賞多数。2016年10月、「十月大歌舞伎」ならびに11月「吉例顔見世大歌舞伎」で八代目中村芝翫を襲名する。10月には思い入れのある演目《熊谷陣屋》11月の襲名興行では、そんな彼らと《連獅    Shikan Nakamura Ⅷ 歌舞伎座 「中村橋之助改め 八代目中村芝翫 襲名披露 中村国生改め 四代目中村橋之助 襲名披露 中村宗生改め 三代目中村福之助 襲名披露 中村宜生改め 四代目中村歌之助 襲名披露 吉例顔見世大歌舞伎」 ダイナースクラブ貸切公演SignatureInterviewDiners Club Play Guide

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