SIGNATURE2016年04月号
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競馬の世界には「ダービー馬はダービー馬から」という格言がある。そして、ブラッドスポーツとしての競馬の本質を端的に言い表したこの言葉が、もしかしたら長い日本競馬の歴史で最も似合っているのかもしれない馬が、つい最近誕生している。2015年に皐月賞とダービーの二冠を制したドゥラメンテである。ドゥラメンテは2012年3月22日、北海道安平町のノーザンファームで生まれた。母は2003、4年にG1エリザベス女王杯を連覇したアドマイヤグルーヴ。そして父は2004年のダービー馬・キングカメハメハという血統の持ち主だ。まだ名前がなく「アドマイヤグルーヴの2012」と呼ばれていたこの良血馬は、1歳の時に愛馬会法人サンデーサラブレッドクラブで出資者が募集されると、40口の枠はすぐに満口となった。もちろん馬体や牧場での動きが素晴らしかったことは言うまでもないが、何よりこの血統の馬が活躍しないわけがないというあびら期待と確信がそこには強くあった。やがて、イタリア語の音楽用語で「荒々しく、はっきりと」という意味の名前を付けられたドゥラメンテは美浦の堀宣行厩舎に入厩、2歳の秋にデビューを迎える。競走意欲にすぐれた馬によく見られることだが、ドゥラメンテも若駒の頃の走りは多分に若さが勝ったものだった。デビュー戦は出遅れたせいで、勝ち馬にわずかに届かず2着。2戦目は順当に圧勝、年が明けて3戦目のセントポーリア賞も後続を5馬身ちぎる楽勝を飾ったが、G3共同通信杯では再びまさかの2着に敗れてしまう。レース中、終始騎手との呼吸が合わず、無駄な力を使いながら走っていたことが最後の伸びに響いたのだった。しかし、そんな「おぼっちゃん」らしいわがままな気性が原因の取りこぼしも、そこまでだった。続いて出走したのは皐月賞。3歳クラシック競走の一冠目であるこのG1で、ドゥラメンテはとんでもない走りを見せる。道中は後方を進んでいたが、直線で1頭だけ次元の違う末脚を披露。ミルコ・デムーロ騎手も「こんなスピードを経験するのは初めて」と驚くパフォーマンスで、一気のごぼう抜きを決めてしまったのだ。そして迎えた二冠目のダービー。じっくり中団を進んだドゥラメンテは、直線であっという間に先頭に立つと、そこからは独壇場だった。スタートからゴールまで、一分の隙もない完璧な走り。圧倒的な能力を余すところなく発揮し、余裕の手応えでゴールしてみせた。勝ちタイムの2分23秒2は、82回の歴史を持つダービーにおけるレコードタイム。奇しくも11年前に父・キングカメハメハが樹立し、その後破られていなかった記録を0秒1更新するものだった。ダービーを制したドゥラメンテは、しばらくして骨折が判明してしまう。残念ながら三冠目の菊花賞には出走できなかったが、その後は時間をか67皐月賞からコンビを組んだミルコ・デムーロ騎手はイタリア出身。外国人のため、これまでは年に3か月以内の短期免許でしか騎乗できなかったが、この年の春、ついに日本の騎手免許を取得。腰を据えて通年で騎乗するようになった矢先の「大仕事」だった。 Duramenteドゥラメンテ
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