SIGNATURE2016年04月号
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それでもゴルフは愉しいし、奥があるなと思うことがたびたびある。仙台の私の自宅の仕事場の隅に暖炉がある。この頃は寒さの厳しい冬も少なくなったが、それでも今年の冬も何度か火を入れた。薪の爆ぜる音を聞きながら仕事をしたり、小休止に暖炉の前で好きな書物を読むひとときは悪いものではない。その暖炉の上の壁に一枚の写真が額装して掛けてある。美しいゴルフコースのひとつのホールの写真である。ペブルビーチゴルフリンクスのマンである。このホールで私は何度も手痛い失敗をした。もうクラブを海に投げ捨てて帰ろうかとも思った。あとにも先にもゴルフをしてそん7 は な気持ちになったことは、このホールだけだった。その折の自分のいたらなさへの戒めもあり、壁に掛けた。その写真を眺めると、あの折の自分の姿が浮かび思い出す度に苦笑する。二十年近く、この写真を見ているが、最初の十年は、いつかこのホールを攻略してやるぞ、と思ったが、この頃は、もう一度プレーをする機会があれば、このホールにお礼を言いたい、と思うことがある。あの失態、苦汁がなければ、私はゴルフをやめていたかもしれない。人にとって楽しかった記憶は曖昧な一面を持つが、苦しかったり、辛かった時間はいつまで経っても鮮明に残り、そこに誰もが何かを得ている気がする。Shizuka Ijuin一九五〇年山口県防府市生まれ。八一年、文壇にデビュー。小説に『乳房』『受け月』『機関車先生』『ごろごろ』『羊の目』『少年譜』『星月夜』『お父やんとオジさん』『いねむり先生』など。エッセイに、美術紀行『美の旅人』シリーズ、本連載をまとめた『旅だから出逢えた言葉』、『大人の流儀』シリーズなど。近刊に『それでも前へ進む』(講談社)、『無頼のススメ』(新潮新書)、最新刊に『ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石』(上下巻・講談社文庫)』、『ガッツン! (双葉文庫)』がある。10番495ヤードパー4である。撮影したのは先述した友人のカメラ
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