SIGNATURE2016年04月号
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日本でもダービーや有馬記念は多くの注目を集めるが、メルボルン・カップへの熱狂はその比ではない。毎年11月の第1火曜日の午後3時を迎えると、老若男女、オーストラリア国民はレースに釘付けとなる(学校の授業さえも中断してテレビ観戦!)、まさに国を挙げての大イベントなのだ。レースが行われるビクトリア州は祝日となっており、メルボルン郊外のフレミントン競馬場は毎年ドレスアップした観客(限りなく100パーセントに近い)で埋め尽くされる。そして女性たちの頭を飾るのは、この日のために用意されたお帽子の数々(これまた100パーセントに近い)、百花繚乱、ファッションブランドのショー会場のごとき華やかさで、フレミントンのスタンドは女性たちが主役となる。そこへさらなる花を添えるのがレースをサポートするスポンサーの特設パビリオン。世界的なセレブリティや顧客たちが集い、シャンパンや人気シェフによるスペシャルメニューを楽しみながら、その時を待つのである。そして昨年(2015年)は、ターフの上でも一人の女性が衝撃的な輝きを放った。155回を数える歴史の中で、初めて女性騎手のミッシェル・ペインが優勝したのである。それも彼女が騎乗したプリンスオブペンザンスは競馬界では約400万円という格安の馬で(ニュージーランド調教馬、騸馬6歳)、レース前のオッズも人気薄(24頭中23番人気)の穴馬だった。レースでのミッシェルはまさに〝神騎乗〟。スタートは少し出遅れたのだが慌てることなくじわりと中団まで取りつき、その後は経済コースの最内でじっと我慢を続けた。そして直線入り口で全頭がごったがえす中、馬場中央にぽっかりと空いたスペースへ素早く馬を導く。一人スムーズな流れをしっかりとつかむと、そのまま馬なりで進出。残り300メートルを過ぎてから徐々に追い出し始め、200メートルでゴーサインを出すと、今度はプリンスオブペンザンスが待ってましたとばかりに弾け飛ぶ。真一文字に伸びて残り100メートルで先頭に立ち、押し切りを図る。2番手に世界的名手、ランフランコ・デットーリ(昨年は英ダービー、仏凱旋門賞を制覇)騎乗のマックスダイナマイトが上がってきたが、デットーリは直線に入っても内で馬群に包まれ動けず、ようやくミッシェルの外側に出して猛追するも、時すでに遅し。プリンスオブペンザンスがそのまま先頭でゴール。天才ジョッキーを抑えての堂々たる勝利であった。そしてこの優勝にはもう一人のファインプレーヤーがいた。距離的にもコンディション的にもレースは内枠スタートが有利な状況だったが、発走ゲートの決定はくじ引き。抽選に臨んだミッシェルの一つ上の兄で厩務員(馬の世話をするスタッフ)を務めるスティーブが、絶好枠の1番を自ら引き当てていたのである。そんなミッシェルとスティーブが育ったペイン家は厩舎を営む競馬一家。手として活躍する兄妹がいるが、末の2人がスティーブとミッシェル。ミッシェルを産んだ直後に母親が亡くなっているのだが、年の近い二人は子供の頃からいつも馬に囲まれながら仲良く遊んで育ってきたという。しかし2007年、オーストラリア競馬界における女性騎手の草分け的存在だった長女・ブリジットも落馬が原因で亡くなってしまう。今回の勝利は、母や姉の思いを紡ぐものとも言える。そして男性優位と言われる競馬界の常識に風穴を開けたミッシェルは、兄とともに歴史的勝利を共有できた喜びにも言及している。 「スティーブはダウン症ですが、厩舎でほかのスタッフと同じようにどんな仕事もこなします。料理もしますし、銀行に行ったり、なんでも自分でできます。今回の勝利を二人で分かちあえたことは大変な喜びです」様々な夢を乗せ、プリンセスとプリンスはゴールを駆け抜けたのである。155年目にしての奇跡の物語©Getty Images©Getty Images左から:歴史的快挙を成し遂げ、会見に臨むミッシェルとスティーブ。/左がプリンスオブペンザンスのオーナー。約400万円の馬での勝利。これまた奇跡の物語。/レース直後、ミッシェルは「It’s like a dream come true」と語っていた。/単勝オッズは65.9倍。女性票も集めたはずで、歴史的勝利に乗った女性も多いはず。             10人兄妹という大家族で、ほかにも騎42Special FeatureThe race that stops a nationMelbourne Cup Carnival

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